25th 3月 2009, by 上野家 ぱん駄, filed in 連作駄洒落
3 Comments

【解説】
 時々、意味もなく駄洒落を言う人がいる。相手とのコミュニケーションを取るでなく、ただ言えば良いとばかりに、前後のつながりも状況も考えずに 駄洒落を語る人がいる。そういう人を見ると私は本当に悲しい。唾棄したくなる。
 そして、この「仏像をぶつぞう」と言う駄洒落は まさにそう言った駄洒落である。思想のかけらもない。思慮というものを感じさせない駄洒落の典型である。
 仏像をぶつぞうに何の意味があるのだろうか。ぶったら痛いじゃないか。手を怪我するかもしれない。仏像が壊れたら文化財破壊になってしまうじゃないか。全く意味のない駄洒落だというのに、奈良・京都に修学旅行に行った学生の引率の先生の8割 生徒の3割は 仏像を前にしてこの駄洒落を想うと言う。どうなっているんだ日本の感性 そして教育!
 仏壇変りはありません(=別段変わりはありません)という駄洒落は、仏壇に変わりがないのは良いことだし、日々の生活に代わりのないことも良いことだと言う意味で、日々の小さな幸せを伝えるほのぼのした駄洒落であり、仏像をぶつぞうとは似て非なる佳作の一つだと思うのである。
  同じ仏教をテーマにしたのにこんなに差があるなんて本当に打駄洒落の道は奥深いものがあるとまたまた感じ入ってしまうのであった。

3件のコメント

  1. ニシゴン
    25/03/2009

    「銅像をぶつぞう。」「どうぞぅ〜」

  2. ニシゴン
    25/03/2009

    仏像だけに、ぶった(Buddha)ないで、放っとけ様。

  3. ニシゴン
    27/03/2009

    仏像をぶつとオシャカになります。

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