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14th 3月 2009, by 上野家 ぱん駄, filed in 連作駄洒落
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14th 3月 2009, by 上野家 ぱん駄, filed in 連作駄洒落
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≪類型≫
 「廊下をあるいいていたらこけました。」「老化現象ですね」
 「ロッカーはどこにあるの」「廊下(=ロッカー)にあるよ」
 「ロッカーはどこにあるの」「ろっか(=どこか)にあるよ」

【解説】
 廊下は、走るものではない、すべるものだというのが小学区の頃の私の持論でした。勢いをつけてスーッと廊下をすべる醍醐味。湖に氷の張ることのない南国の子供のひそかなスケート遊びでした。ときおり、廊下のささくれば足に突き刺さり青春の痛みを感じたりもしました。(そんなにいいものだったのだろうか・・・)
 子供の頃のそんな思い出が詰まっているからかも知れませんが、類型の駄洒落が多くあるのが廊下です。子供のときは学校の通路を廊下と言うのですが、大人になると、会社のビルの通路はもはや廊下とは言いません。この駄洒落にノスタルジーを感じるのも、そういったところに秘密があるのかもしれませんね。
 
 

 

12th 3月 2009, by 上野家 ぱん駄, filed in 連作駄洒落
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胃がんのバカ ==> イワンのバカ (トルストイの名作童話)

【解説】
「イワンのバカ」は、「人はどれほどの土地がいるか」などとともにトルストイの有名な童話ですね。世界的な作家の作品はよく駄洒落に使われますが、この駄洒落は胃がんという、ちょっと暗いテーマとイワンのバカのアイロニーがマッチしていて、暗い側面がありながらも笑っていまうしみじみとした作品に仕上がってます。トルストイに精通した人にしかいえない駄洒落でしょう。「ロシア人の弟」という意表をついた出だしもグーですね。
普通の人なら、ちょとお金をトルストイ (お金を盗るすとい) とか、「今日の夕ご飯どうしたらいいの」「あんな、カレー煮な」(アンナ・カレーニナ と カレー煮なをかけている駄洒落)くらいしか言えないと思います。
 
私事ですが、最近知り合いの人が癌になってしまいました。その人が入院する前に、ある居酒屋さんで会ったときに、体が痛いと言うので 酔った私は「元気を出してよ!」と言って強く体を揺さぶったのですが、そのまま癌が転移して入院してしまいました。
 そんなことはないと思いますが、私がゆすったせいで癌が転移したのではと少し不安です。罪滅ぼしに何回かお見舞いに行ったのですが、そのときこの駄洒落を思いついてしまいました。つくづく罪作りな人間だと思います。この場を借りて早い回復をお祈りします。
 

9th 3月 2009, by 上野家 ぱん駄, filed in 連作駄洒落
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落花生 -> らっかせい -> らっ火星 ・・・・

【解説】
  ついに駄洒落も宇宙的な規模になったかと思うと、己の精神世界の広大さにあきれるばかりです。星空を見ながらも駄洒落を考えている私ってなんてロマンチックなのでしょうか。
 落花生をむくとピーナッツになると言うのも不思議ですね。落花生の皮の部分が ”らっか” で ”せい” が実の部分でしょうか。そういえば、昔軍隊に「らっかせいぶたい」ってありましたね。ああ、あれは落下傘部隊でしたっけ。
 
今回、一緒に本を出す一人は火星さんと言いますが、イカは良く食べるみたいですがそんなにピーナッツが好きなように見えません。私のほうが好きみたいです。

8th 3月 2009, by 上野家 ぱん駄, filed in 連作駄洒落
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 52 -> ごじゅうに -> ご自由に

【解説】
 52歳は自由な年なのだろうか。正直に言えば引きずった重みから、過去の考えにとらわれ自由を忘れてしまう年なのかもしれない。そんな中年のみなさまの心臓を直撃する駄洒落がこれです。
 数字と自由という概念を結びつけたかなり高度な駄洒落です。この駄洒落を披露したとき一緒にいた52歳の人は大変喜んで、そのあとは何かと言うと「ご自由にどうぞ、わたしは53 がはははは」とやたらめったら言い続けてかなり顰蹙を買っていました。いくら良い駄洒落でも言いすぎは駄目みたいですね。
 あとから知人から、12歳も じゅうに なので 自由に となりますね と指摘されました。12さいと 52歳。 「ご」の一文字で、残された未来がこんなに違うのかと感慨に浸ってしまいました。  
 みなさん いつまでも若く生きていましょうね(って これが年寄りくさい言葉ですね)